「archlinux やめた」人の本音。挫折理由と次のOS

「archlinux やめた」と検索してたどり着いたということは、Arch Linuxの運用に少しお疲れ気味なのかもしれませんね。わかります、その気持ち。Arch Linuxはカスタマイズ性が高くて魅力的ですが、日々のメンテナンスや「いつ壊れるか」というアップデートの恐怖に、心が消耗してしまうこともありますよね。

特に、インストール段階での難しさや、独特のローリングリリースモデルへの対応で「archlinuxに疲れた」と感じる方は少なくないと思います。私自身も、PCを「道具」として安定して使いたいだけなのに、なぜかシステム管理者のような作業に追われている…と感じることがありました。

この記事では、「archlinux やめた」と考えるに至った挫折の理由を深掘りしつつ、もしArchから離れる場合にどんな選択肢があるのか、例えばUbuntuに戻るべきか、それとも他のOSが良いのか、そのあたりを一緒に考えていきたいと思います。

  • 「archlinux やめた」と感じる挫折の共通点
  • Arch Linuxが「難しい」と言われる本当の理由
  • アップデートやメンテナンスで疲弊する仕組み
  • Archから移行するためのおすすめOS比較
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「archlinux やめた」検索の背景にある疲弊

やめた

Arch Linuxを使いこなすのは、まさに「趣味」と「実用」のせめぎ合いかもしれません。ここでは、多くのユーザーが「もう、やめた」と感じてしまう、あの独特の疲労感の正体について、具体的な理由を掘り下げてみます。

archlinuxに疲れたユーザーの共通点

「archlinuxに疲れた」と感じる方には、いくつかの共通点があるように思います。一番大きいのは、やはり「いつシステムが壊れるかわからない」という継続的なストレスじゃないでしょうか。

例えば、日常的なアップデート(pacman -Syu)を実行するたびに、「今回は大丈夫かな…」と祈るような気持ちになる。これは結構な精神的負担ですよね。他のOSなら何気なくクリックするだけの作業が、Archだと一種のイベントになってしまう。

また、大きなトラブルはなくても、日々発生する「小さな問題」の蓄積も疲労の原因かなと。

  • 急にUSBメモリがマウントされなくなった
  • アップデートしたら音が出なくなった
  • AURパッケージの依存関係が壊れた

こうした細かい問題のトラブルシューティングに時間を取られ、「あれ、自分は何がしたかったんだっけ?」と我に返る。最終的には、「何もしなくても普通に動く」UbuntuやDebianの安定性が恋しくなる…というのが、多くの方に共通する心境かもしれません。

archlinuxはなぜ難しいのか

Arch Linuxが「難しい」と言われる本質は、技術的な複雑さよりも、OSがユーザーに求める「哲学」とのミスマッチにあると私は思います。

Archは基本的に「自分で構築し、維持管理するプロジェクト」としてPCを扱うことを求めてきます。これは「趣味」としては最高に楽しいんですが、多くの人がPCに求めるのは「作業をするための道具」としての「実用性」なんですよね。

このギャップが、挫折を生む大きな原因です。

Archが求める姿勢 vs ユーザーが求めるもの

  • Archが求めること: 「Wikiを読んで理解し、自分で設定・解決してほしい」
  • ユーザーが求めること: 「OSのことはいいから、早くブラウザや開発環境を使わせてほしい」

例えば「USBメモリのマウント方法を理解するのに1週間かかった」という話もあるくらいで、他のOSでは当たり前に自動でやってくれることを、Archではイチから自分で設定しないといけないケースが多いです。

この「道具として使いたいだけなのに、なぜかOSの勉強を強制される」状態が、実用性を求めるユーザーにとって「難しい」と感じさせる最大の理由かなと思います。

archlinuxのインストールが難しい理由

Arch Linuxで最初にぶつかる壁が、やはり「インストール」ですよね。他のOSのようにグラフィカルな画面でポチポチ進めるのとは違い、基本は真っ黒い画面(CUI)との対話です。

最近は archinstall という便利なスクリプトも登場しましたが、それでも「最小主義」という哲学は変わりません。これは「本当に必要なものだけを自分で選んで入れる」という思想で、一見クリーンで良さそうに聞こえます。

でも、これが初心者にとっては「罠」にもなるんですよね。

最小主義の落とし穴

例えば、デスクトップ環境はもちろん、ネットワーク接続の管理ツール(NetworkManagerなど)や、音を出すための仕組み(PipeWireやPulseAudio)すら、自分で「必要だ」と判断してインストールしないと、入らないんです。

インストールが終わって再起動したら、「ネットに繋がらない!」「音が出ない!」というのは“あるある”ですね。

さらに、この困難なプロセスを助けてくれるはずの情報が、Ubuntuなどに比べて圧倒的に少ない(特に日本語)のも、難しさに拍車をかけています。Arch Wikiという素晴らしい公式ドキュメントはありますが、英語が基本ですし、情報量が膨大すぎて初心者はどこから読めばいいか迷いがちです。

この「自分で全部調べて、全部決めて、全部手作業でやる」というインストールプロセスが、最初の大きな挫折ポイントになっているのは間違いないでしょう。

終わらないarchlinuxのメンテナンス

運用のフェーズに入っても、Arch Linuxは「ユーザーの自己責任」のもと、継続的なメンテナンス作業を求めてきます。これが「第二の仕事」みたいになってきて、だんだん疲れてしまうんですよね。

他のディストリビューションなら自動でやってくれるようなことも、Archでは手動での介入が必要です。

.pacnew ファイルの処理

アップデートで設定ファイルが更新されると、.pacnew という新しいファイルが作られます。ユーザーは、古い自分の設定と新しい設定の「差分」を自分で確認して、手動でマージ(統合)しないといけません。

これを怠ると、ある日突然アプリケーションが起動しなくなったり、設定が初期化されたりしますpacdiff などのツールはありますが、それでも面倒な作業です。

パッケージキャッシュの削除

pacman は、アップデートのたびに古いパッケージをキャッシュ(/var/cache/pacman/pkg/)に溜め込んでいきます。放っておくと、これがどんどんディスク容量を圧迫するので、定期的に自分でクリーンアップ(paccache -r など)する必要があります。

AURパッケージの手動再ビルド

AUR(Arch User Repository)から便利なパッケージを入れている人も多いと思います。でも、システムの基本的なライブラリ(例えば openssl とか)がアップデートされた時、それに依存しているAURパッケージは、ユーザーが自分で「再ビルド」しないと動かなくなることがあります。

yayparu といったAURヘルパーを使っていれば、ある程度は自動で検出してくれますが、それでも完璧ではありません。結局、エラーが出たら「ログを確認して(journalctl)、原因を特定して、手動で対応する」という作業が発生します。

こうした「終わらない労働」こそが、日々の疲労の正体かなと思います。

archlinuxのアップデートが怖い理由

Arch Linuxの最大の特徴であり、最大の挫折要因でもあるのが「ローリングリリース」モデルです。

これは「安定版」という区切りがなく、常に最新のパッケージが提供され続ける仕組みですが、その代償として「破壊的な変更」も遠慮なく降ってくることを意味します。これが、「pacman -Syu がロシアンルーレット」と言われる所以ですね。

「部分的なアップグレード」という禁忌

Archの運用を決定的に難しくしているのが、「部分的なアップグレード(pacman -Syだけとか)はサポートされていない」という厳格なルールです。

例えば、Ubuntuなら「セキュリティアップデートだけ適用する」とか「ブラウザだけ新しくする」といった選択ができます。でもArchでは、ブラウザを1つアップデートしたいだけでも、システム全体(pacman -Syu)のアップグレードが強く推奨されます。

All-or-Nothing(全か無か)の恐怖

このポリシーのせいで、ユーザーは「安全なアップデート」を選ぶ権利がありません。Webブラウザの更新に、まだ不安定かもしれない新しいカーネルや、システムの根幹である glibc のアップデートが強制的に付いてくるわけです。

これが「アップデートするたびにビビる」状態を生み出し、ユーザーを疲弊させる大きな要因になっています。

「archlinux やめた」後の最適なOS移行戦略

やめた1

Arch Linuxの運用に疲れてしまったからといって、Linux自体が嫌いになったわけではない、というケースも多いはずです。ここでは、「archlinux やめた」次の一歩として、あなたのニーズに合うかもしれないOSの選択肢をいくつか紹介しますね。

archlinuxからubuntuへ戻りたい心理

「いろいろ試したけど、やっぱりUbuntuに戻りたくなってる」…これは、疲弊したユーザーにとって非常に自然な「安定への原点回帰」だと思います。

Archの日々のメンテナンスや「破壊的変更」への対応に疲れ果てたとき、Debianの「安定版」やUbuntuの「LTS(長期サポート)」が提供してくれる「何もしなくても動く」という絶対的な安心感は、何物にも代えがたい魅力があります。

もちろん、これは「古いパッケージはあまり好きではない」という、かつてArchを選んだ理由を、ある意味で再度受け入れるというトレードオフを意味します。

でも、日々のメンテナンス労働やアップデートの恐怖から完全に解放される対価として、それは非常に合理的な選択だと私は思います。特にUbuntuのLTS版は、5年間の長期サポートが提供されるため、「OSのことは忘れて作業に集中したい」というニーズには最適ですね。

最新のLTS版については、以前に「Ubuntu 24.04 LTSのサポート期間はいつまで?標準と延長(ESM)を解説」という記事も書いているので、もしよければ参考にしてみてください。

移行先としてのfedoraの魅力

Archの「最新性」は好きだけど、あの「不安定さ」はもう勘弁…という方に、私が一番おすすめしたいのが Fedora Workstation です。

Fedoraは、Arch(常に最新)とUbuntu LTS(安定だが古い)の、まさに「絶妙な中間地点」を行くOSだと感じています。

Fedoraの魅力

  • 適度な最新性: 「最新技術だけど、尖りすぎじゃない」。リリース前に十分なテスト(QA)が行われるため、Archのような破壊的な変更はほとんどありません。
  • 高い安定性: 「すごく最新だけど、ほとんど壊れない」と評価される安定感があります。
  • 快適なデフォルト: 標準のGnomeデスクトップ環境が非常に洗練されていて、インストール直後から快適に使えます。

Archのローリングリリースには疲れたけれど、UbuntuのLTSほど古いパッケージは使いたくない…という、わがままなニーズ(良い意味で!)に応えてくれるのがFedoraかなと思います。

もしお仕事でRed Hat Enterprise Linux (RHEL) を使っている方なら、その開発元が作るFedoraはデスクトップOSとして最高の相性ですよ。

archlinuxとendeavour osの違い

「Archの思想(最小構成、AUR、ローリングリリース)は大好きだ。でも、あの面倒なインストールと初期設定だけが嫌なんだ!」…そんな方には EndeavourOS (EOS) がぴったりかもしれません。

EndeavourOSは、中身はほぼ「素のArch Linux」ですが、決定的な違いがいくつかあります。

GUIインストーラーの存在

最大の魅力は、洗練されたGUIインストーラー(Calamares)が提供されている点です。Arch本体のCUIインストールや archinstall スクリプトと比べて、はるかに簡単かつ確実にデスクトップ環境を構築できます。

便利なツールの初期導入

インストール直後から、AURヘルパーの yay や、便利なメンテナスツールが導入されています。Archで挫折しがちな「インストール直後の環境構築」という最初の壁を、見事にクリアしてくれます。

よく比較されるManjaroやGaruda Linuxとは違い、EndeavourOSは余計なカスタマイズが少なく、「ゴテゴテしてない」のが特徴です。

「Archの哲学は好きだけど、インストールと初期設定の手間だけを省きたい」という、Arch経験者(あるいは挫折者)にこそ最適なディストリビューションかなと思います。

Archを続けるためのダウングレード術

「やめる」と決断する前に、もう少しだけArchと付き合ってみるための「防御策」も紹介しておきます。アップデートで不具合が起きた時の基本的な復旧手段が「ダウングレード(パッケージを古いバージョンに戻す)」です。

AURヘルパー「downgrade」の利用

一番簡単なのは、AURで提供されている downgrade というスクリプトを使う方法です。これを使うと、Archの公式アーカイブ(過去のパッケージ保管庫)から古いバージョンを探して、簡単にインストールし直すことができます。

$ downgrade パッケージ名 のように実行するだけで、どのバージョンに戻すか選べるのですごく楽ですね。

pacmanキャッシュによる手動復旧

もし downgrade を入れていなくても、pacmanは過去にインストールしたパッケージを /var/cache/pacman/pkg/ に保存しています(自分で削除していなければ)。

もしキャッシュに古いバージョンのファイルが残っていれば、

$ sudo pacman -U /var/cache/pacman/pkg/パッケージファイル名.pkg.tar.zst

というコマンドで、手動でダウングレードが可能です。

ダウングレードの注意点

ただし、ダウングレードはシステム全体の整合性を崩す可能性があり、あくまで一時的な緊急避難です。特にシステムの根幹に関わるライブラリをダウングレードするのはリスクが伴います。

実行する際は、Arch Wikiなどで情報をよく確認し、必ず自己責任で行うようにしてください。安易な実行はおすすめできません。

Btrfsでアップデートの恐怖を克服

pacman -Syu の「ロシアンルーレット」状態を、技術的にほぼ解決してしまう最強の手段があります。それが Btrfs(バターFS)ファイルシステムと「スナップショット」機能の導入です。

これは、Windowsの「復元ポイント」やmacOSの「Time Machine」の、もっと強力なシステム版みたいなものだとイメージしてもらうと分かりやすいかも。

スナップショット運用の流れ

  1. snapper というツールをセットアップします。
  2. pacman を実行する直前に、システム全体のスナップショット(その瞬間丸ごとのバックアップ)が自動で作成されるように設定します。
  3. pacman -Syu を実行 → もし失敗して起動しなくなっても…
  4. PCを再起動し、ブートローダー(GRUBなど)のメニューから「アップデート直前」のスナップショットを選んで起動します。

たったこれだけで、システムは瞬時に「アップデートを実行する前」の正常な状態に巻き戻ります。

この環境を一度構築してしまえば、アップデートによる「破壊的変更」は完全に無害化されます。「アップデートの恐怖」から解放され、Archのメリットだけを享受できるようになる、究極のセーフティネットですね。導入のハードルは少し高いですが、挑戦してみる価値は十分にあると思います。

「archlinux やめた」は最適化の証

ここまで色々な選択肢を見てきましたが、最終的に「archlinux やめた」という決断をすることは、決して技術的な敗北やスキルの欠如を意味するものではないと、私は強く思います。

それは、Arch Linuxが要求するコスト(日々のメンテナンス時間、アップデートのリスク、精神的な平穏)と、ご自身がPCに本当に求めているニーズ(安定性、作業への集中)を天秤にかけた結果の、合理的で健全な「最適化」のプロセスです。

Arch Linuxと格闘した経験は、CUIの操作、パッケージ管理の仕組み、トラブルシューティングの方法など、Linuxシステムの深い理解を間違いなく与えてくれたはずです。

その貴重な経験は、次にどのOSを選んだとしても、絶対に無駄にはなりません。むしろ、その経験があるからこそ、FedoraやUbuntuといった他のOSの「ありがたみ」や「設計思想の違い」を、より深く理解できるんじゃないかなと思います。

Archでの経験を糧に、ご自身にとって一番快適な環境を見つけてくださいね。

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